自我―自己

ユングkh

2018年06月30日 00:39

カール・グスタフ・ユング
人神論という教義は、心理学的言語に翻訳するならば、人間としてのキリストが自我に照応し、神としてのキリストは自己に照応するから、キリストは自我であると同時に自己であり、したがって部分であると同時に全体でもあるということを言い表している。-アイオーン-

自我―自己
………自我の能力や自我の分析力がなければ、自己は、日常世界では存在しないままになる。自我の助けがあるからこそ、一層深く、大きな統合段階の生を育むという自己の貴重な傾向も、活用可能になる。

…..強力で生き生きした自我ー自己軸が個人の中に出現するのは、なんらかの質の良い母子関係からである。つまり、近接と離反との均衡、特定の技術を引き出し、誉めることと乳児を全体として受け入れることとのの均衡、

外界の探究と自らを顧みることとの均衡、などかである。しかし、逆もまた真なりで、自我ー自己軸に固有な力動過程の一部は乳児とその母親との関係に投影される。ユング心理学辞典p64


カール・グスタフ・ユング‏ @C_G_Jung_jp
意識性及びその欠如とはどういうことかは、キリストの次の言葉が要領よく言い表している。「自分が何をしているかを知っているなら、あなたは幸せだ。だが、自分が何をしているかを知らないなら、あなたは呪われており、律法を破る者だ」(ルカ伝6章4節についての『べザエ写本』)。-ヨブへの答え-

【新共同訳】聖書
ルカ
23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

【新共同訳】聖書
ガラテヤの信徒への手紙
3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。

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